資料を探す

本・雑誌・音楽・映像を探す。情報の調べ方を知る。

ホーム
地域資料
成田のあゆみ

成田のあゆみ

最終更新日 2010年01月05日

『図説成田の歴史』(平成6年刊)より転載

西暦 年号   おもな出来事
約30万年前     成田付近は海に覆われ「成田層」のたい積が始まる。また周辺の陸地ではナウマン象が生息
約2万年前 後期旧石器時代 市域内に初めて人が住みはじめ、県内最古の部類に入る楕円形石斧をはじめ、多数の旧石器類が使用される(三里塚遺跡)
約1万年前 縄文時代 草創期 県内各地で土器の使用が始まり、弓矢が狩猟の中心を占める
三里塚遺跡で有舌尖頭器(石の矢じり状石器)や石器類が多量に使用される
約8000年前 早期 市内最古の集落が形成される(三里塚遺跡ほか)
約5000年前 海面が上昇、長沼・宝田付近まで海水が入り込む(海進)
市城内初の貝塚が営まれる(新妻貝塚)
約4000年前 前期 海面の上昇は最高潮に達し、寺台付近まで海水が入り込む
約3000年前 中期 市域内各所に小規摸集落が形成される。また、徐々に海退が始まる
約700年前 晩期 荒海貝塚が最盛期を迎える。市内で稲作が行われた形跡がみえる (荒海貝塚、宝田鳥羽貝塚)
約50 弥生時代   根木名川流域に集落が形成される (関戸遺跡ほか)
  市域内で最古の方形周溝墓が出現する(押畑子ノ神城址遺跡)
約350 古墳時代 前期 県内各地に古墳の築造が始まり、大和政権との関係が認められる
約420 中期 八代、大竹で祭祀的装飾品である管玉が作られる (八代玉作遺跡ほか)
公津原古墳群が形成されはじまる
約500 県内各地に国造が置かれ、成田周辺は印波国造の支配下に入る(一説には380年)
約550 後期 集落が増加し大規摸となる (向台遺跡ほか)
650 白雉 1 このころ、下総国が成立し、現市川市に国府が置かれる
約700   市域内各地に大規模な農耕集落が形成される(囲護台遺跡、郷部加定地遺跡ほか)
709 和銅 2 栄町の竜角寺が創建されたと伝えられる
715 霊亀 1 このころ、埴生郡衙(郡家) が設置される (栄町大畑Ⅰ遺跡)
755 天平勝宝 7 『万葉集』に、印波郡丈部直大歳、埴生郡大伴部麻与佐の歌がみえる
774 宝亀 5 吾妻から出土した梵鐘に「宝亀五年」 の銘がみえる(日本で4番日の古鐘)
805 延暦 24 古東海道に設けられた埴生郡山方駅、香取郡荒海駅などが廃止される
927 延長 5 『延喜式』に印幡・埴生郡などの郡名、麻賀多神社(小社)の神名がみえる
931‐938 承平年間   『倭名類聚抄』(和名抄)に、印幡郡八代郷、埴生郡玉作、山方、酢取、麻在(生カ)郷、香取郡磯部郷などの郷名の記載がある
940 天慶 3 平将門の乱が平定され、新勝寺が創建されたと同寺縁起にみえる
1183 寿永 2 千葉常胤、埴生庄・印東庄など上総広常が没収された遺領の大半を継ぐ
1237 嘉禎 3 このころ、埴生次郎時常が埴生庄を支配する
1247 宝治 1 足利義氏が埴生時常の遺領を継ぐ
1251 建長 3 このころ、足利泰氏が埴生庄で出家し、埴生庄は北条実時に与えられる
1311 応長 1 船形薬師寺の梵鐘に「下州印東庄八代郷船方薬師寺 応長元年」の銘がみえる
1333 元弘 3 北畠具行の母民部卿局が具行の菩提を弔い、遠山方御厨を京都の大徳寺に寄進
1351 観応 2 千葉貞胤の供養碑(板石塔婆)が建立される(台方超林寺に現存)
1408 応永 15 成田村安養寺の聖観音菩薩坐像胎内に「成田郷 応永十五年」の銘がみえる(成田の地名の初見。安養寺の火災により聖観音像は寺台の永輿寺に移される)
このころ、市城は千葉氏を中心とした武将たちの支配下に入る
1581 天正 9 幸町、薬師堂の薬師如来坐像の胎内に「埴生庄寺台平□□ 天正九年」とある
竜台合戦で長沼武俊、羽鳥豊勝、荒海重鋼、大竹信澄らが戦死する
1590 18 この年、後北条氏にくみした市域内の武将たちは、豊臣・徳川連合軍と戦いを交えて敗滅する
1591 19 この年から文禄3年にかけて、川栗村などで検地が実施される
1617 元和 3 佐倉城(鹿島城)が竣工し、本佐倉の城下町が佐倉に移る
二代将軍徳川秀忠の剣術指南番小野忠明が寺台の地頭となる
1653 承応 2 台方村惣五郎、領主の苛政を直訴して刑死、と伝えられる
1654 3 赤堀川が掘削され、利根川が常陸川筋へ流入する
1655 明暦 1 成田村新勝寺の本堂(現薬師堂)が完成する
1659 万治 2 この年、伊篠村(酒々井町)に水源をもつ万治堀(公津地区)が完成する
1663 寛文 3 幕府代官近山五郎右衛門、細田小兵衛が新利根川を開き、手賀沼、印旛沼、長沼の干拓に着手する
1666 6 新利根川が竣工する
1674 延宝 2 徳川光圀、江戸藩邸への帰路成田村新勝寺に参詣する
1701 元禄 14 成田村新勝寺の本堂(現光明堂)が落成する
安西新田地内に長沼落ちの圦樋が設置される
1703 16 成田村新勝寺、江戸永代寺八幡宮にて初めての出開帳を行う
1705 宝永 2 佐倉藩主稲葉正通、成田村囲護台の新畑50石を成田村新勝寺に寄進する
1723 享保 8 佐倉藩主稲葉正知が山城国淀藩へ転封となり、佐倉藩領の一部が淀藩領となる
1731 16 佐倉牧付きの飯仲新田、堀之内新田、八代新田、成木新田などの新田検地が行われる
1746 延享 3 堀田正亮(後期堀田氏)が佐倉藩主となり、市域では35か村を所領し(以後、廃藩置県まで堀田氏が在藩)、田安家が、埴生郡16か村を領する
1757 宝暦 7 このころから、髪結い、質屋、旅籠屋、酒造、魚商い、古着商い、荒物商い、湯屋、菜種商い、太物商いなど、周辺の村々でも農間余業を行う者がふえる
1769 明和 6 印旛沼、長沼沿岸の村々が、漁猟権をめぐって対立する
1770 7 干ばつによる困窮のため、下福田村などの百姓が田安家江戸屋敷へ強訴する
1771 8 印旛沼の藻草取り、海老、魚、鳥猟について、沼縁り村々の運上額が決まる
1783 天明 3 大凶作のため、佐倉藩内で一揆が起こり、市域の村からも参加する
1829 文政 12 二宮尊徳、成田村新勝寺に参詣する
1832 天保 3 大原幽学、長沼村の医師本多元俊(幽学の高弟)を初めて訪問する
1838 9 成田村組合のうちの24か村・1332軒のうち、328軒が農間余業を行う
1842 13 7代目市川団十郎、奢侈禁止令にふれて、新勝寺の地続きの延命院に寓居する
1845 弘化 2 寺台村と成田村の御用人馬の継ぎ立てをめぐる訴訟事件が起こる
1852 嘉永 5 田安領荒海村で大原幽学の教導所設置が認められる
成田村で大火が起こり120軒を焼失する 
1858 安政 5 成田村新勝寺の本堂(現釈迦堂)が完成し、入仏供養が行われる
1868 明治 1 下総知県事が置かれる
1871 4 印旛県、木更津県、新治県が置かれる
1872 5 成田村に郵便取扱所が開設される(のちに成田郵便局、成田郵便電信局と改称)
1873 6 成田山新勝寺の深川出開帳が行われる
印旛・木更津両県が統合して千葉県が誕生する
東谷小学校(明治8年、成田小学校と改称)、寺台村の永興寺に開校する。各村々にも小学校が開校する
1875 8 下総御料牧場の前身である下総牧羊場と取香種畜場が開場する
1876 9 成田に第16区警察署第2屯所が置かれる。翌年、佐倉警察署成田分署と改称
1880 13 下総牧羊場と取香種畜場が合併、下総種畜場と改称。18年、宮内省管轄となる
1881 14 この年と翌年、明治天皇が下総種畜場に行幸、成田山新勝寺が行在所となる
1883 16 東京の旭軒馬車会社が、東京‐成田間に乗合馬車の営業を始める
土室村小倉良則が自宅に北総英漢義塾を開く
1885 18 下埴生郡成田組合(成田村ほか30か村からなる駅伝組合)が組織され、成田村を駅場として駅伝取締所が置かれる
1887 20 下福田村に日本聖公会福田教会が創立される
成田山新勝寺が北総英漢義塾の経営を引き継ぎ、成田英漢義塾を創設する
1889 22 公津村、豊住村、久住村、八生村、中郷村、成田町、遠山村が誕生する
1894 27 総武鉄道の市川‐佐倉間が開通する
1896 29 成田銀行が開業する(併合を繰り返し、昭和18年、千葉銀行誕生)
1897 30 成田鉄道の佐倉‐成田間、成田‐滑川間が開通(明治35年、久住駅開業)
1898 31 八生村押畑に印旛貯蓄銀行が設立される
成田英漢義塾、成田尋常中学校を経て私立成田中学校(現成田高校)となる
1899 32 成田瓦斯合資会社が設立され、アセチレンガスの供給が始まる
1900 33 内務省より、長沼の沼地無償払い下げが認可される
1901 34 成田鉄道の成田‐我孫子間が開通し、下総松崎駅が開業する
1902 35 私立成田図書館(現成田山仏教図書館)が開館する
1905 38 私立成田幼稚園が開園する
1906 39 村立八生実業補習学校が開校(大正3年、村立八生農学校となる)する
1908 41 私立成田山女学校(のちの私立成田高等女学校)開校、同じく成田山感化院(現成田学園)も設立されて成田山の五大事業が完成する
1909 42 成田郵便局で電話業務を開始する
1910 43 利根川が大洪水となり、流域に大きな被害を及ぼす
宗吾門前で火災が発生、宗吾霊堂の諸堂、門前の民家73戸を焼失する
成宗電気軌道の成田山門前‐成田駅前間開通(大正5年、成田電気軌道と改称)、翌年、宗吾まで延長(昭和19年廃止)。一般家庭にも電灯用電力の供給が開始される
1911 44 県営軽便鉄道の成田‐三里塚と三里塚‐多古間開通(のちの成田鉄道)する
1912 45 遠山村立遠山実業補修学校が設立される
1913 大正 2 佐倉駅‐宗吾間の乗合自動車が営業を始める
1914 3 県営軽便鉄道の三里塚‐八街間が開通する(八街支線)
1917 6 成田旅館睦組合が結成される
鳴鐘山東勝寺(宗吾霊堂)、下方村字鐘打から現在地に移る
1920 9 前年に設立された成田自動車(現千葉交通)が、成田町‐三里塚‐松尾、成田町‐安食町、成田町‐下福田間の乗合自動車の営業を始める
成田鉄道が国有鉄道となり、以後、成田線と呼称する
1921 10 鳴鐘山東勝寺(宗吾霊堂)の本堂が落成し、入仏遷座式が行われる
成田電気軌道の電灯供給が新たに公津、八生、豊住、中郷の村などに拡張
1926 昭和 1 京成電気軌道(現京成電鉄)の津田沼‐酒々井、酒々井‐成田間開通、花咲町に仮駅開設(昭和5年、現在地に移転。昭和3年、京成宗吾参道駅が開業)
1928 3 成田町立成田実科女学校(一時、町立成田高等女学校となり、のち廃校)開校
成人教育機関の新更会が設立される(昭和6年、新更学院が設立される)
成田信用組合が創立(昭和27年、成田信用金庫と改称)
成田山公園が開園
1930 5 成田山の近くに展望台通天閣が開業
1932 7 根木名川改修の第一期工事が開始
1933 8 成田水道株式会社、成田町内に給水開始(昭和13年、町営に移管)
1934 9 宗吾医療助産組合が結成(公津村、酒々井町)される
1936 11 印東耕地整理組合が成立(昭和28年改組、印旛沼土地改良区に編入)
1937 12 成田鉄道、県下で初の木炭バス試運転を開始
1938 13 成田山開基一千年祭の記念開帳が行われる
1939 14 成田町をはじめ、各村々で銃後奉公会および警防団が設立される
1940 15 各町村で大政翼賛会の支部が結成される
1941 16 利根川、印旛沼が大洪水となる
1942 17 印旛郡医師会付属成田看護婦学校が設立
1943 18 興亜道路(現成田高校前‐京成成田駅前広間)が竣工
長沼の干拓工事開始、根木名川排水路(十日川)開削
1944 19 成田鉄道の多古線にかわり国鉄バス多古線が営業を開始
1945 20 八生国民学校、米軍機の撃墜にともなう火災により全焼
花咲町で火災発生、被災世帯184世帯
1946 21 成田山門前に日本医療団成田地方病院が開院(昭和23年、日本赤十字社に移管、成田赤十字病院となり、29年、現在地に移転)
印旛沼、手賀沼国営干拓事業の仮事務所、宗吾霊堂宝物殿に開設
1947 22 成田中学校をはじめ各村で新制中学校が開校
新更会の建物が郷土博物館施設の成田山霊光館として開館
1948 23 下総御料牧場の開拓地に下総、宮下、三里塚、恵美など8開拓農協設立
1949 24 成田電報電話局が開局(昭和27年、新館完成)
豊住村外二ケ町村普通水利組合(現成田北部土地改良区)が設立
1951 26 遠山中学校に多古高等学校遠山分校が設置される
1953 28 長沼水害予防組合が改組、根木名川土地改良区となる
天皇・皇后両陛下、下総御料牧場をご視察
1954 29 成田・公津・八生・中郷・久住・豊住・遠山の町村が合併、成田市が誕生
初の市長選挙および教育委員選挙実施、市長に石原貞三が当選
旧町村の7支団・63分団により成田市消防団が結成される
成田史談会(現成田市文化財保護協会)が発足
1955 30 初の市議会議員選挙、小選挙区制で実施
この年と翌年、寺台・大室・宗吾・三里塚に保育園、三里塚に幼稚園が開設
1956 31 国民健康保険の全市施行を記念して成田市国保躍進大会が開催
佐倉一高八生校舎が独立し、県立成田農業高校(現成田園芸高校)として発足
市長選挙実施、藤倉武男が当選
新農村建設運動の堆進組織として成田市農村振興対策審議会が発足
1957 32 市営球場で第3回全日本豚共進会が開かれる(昭和55年は野毛平工業団地)
成田市移動図書館運営協議会が設置され、私立成田図書館の協力で配本開始
市営三里塚簡易水道が完成(昭和38年、宗吾簡易水道完成)
1958 33 市役所新庁舎が完成。落成式をかねて、市制5周年記念式典挙行
1959 34 公津小学校で市内最初の学校給食実施
1960 35 成田市商工会が正式認可され発足(平成3年、成田商工会議所に昇格)
1961 36 塵芥焼却場が吉倉に完成
1962 37 国道千葉‐水戸線が一級国道51号線に昇格(翌年、不動橋完成)
成田信用販売協同組合が発足
1963 38 成田市交通安全対策協議会が結成(昭和41年、交通安全都市宣言を行う)
1964 39 八生中学校、公津中学校と成田中学校の一部が統合して成田西中学校が開校
公津公民館(台方)が開館
1965 40 成田市消防本部および消防署が設置
東和田に市営第二駐車場(現東和田駐車場)が一部完成(昭和43年完成)
各地区にあった7農協が合併して成田市農業協同組合が発足
成田郵便局が田町に新館完成、仲町から移転(昭和56年、赤坂に移転)
1966 41 成田市に新東京国際空港建設の閣議決定
三里塚・芝山連合空港反対同盟が結成され、空港反対運動が始まる
成田山表参道の仲町の坂道、レンガ舗装からアスファルト舗装に衣替え
成田電報電話局が幸町に完成、全国ダイヤル即時通話が可能となる
1967 42 私立成田高等学校付属中学校が開校
成田市交通災害共済制度が発足
宗吾霊堂内に宗吾御一代記館が開館
成田市農協の有線事業が市内一元化の放送・通話となる
1968 43 甚兵衛大橋(1月)、長豊橋(2月)が開通
国鉄の千葉‐成田間が電化
成田山新勝寺の新本堂が落成、記念開帳が行われる
寺台に学校給食センターが完成、小中学校の完全給食開始
1969 44 印旛沼開発工事が竣工
成田市老人大学が開校(昭和58年、花崎町に老人大学校校舎完成)
下総御料牧場が閉場し、栃木県高根沢町へ移転
第1回商業まつりが、栗山公園で開催
1970 45 成田中学校に統合される中郷中学校の閉校式実施
成田市史編さん委員会が設置され、市史編さん事業がスタート
空港建設のための国鉄資材運搬専用線が完成、土屋資材置き場まで開通(その後、昭和58年まで燃料輸送に使用される)
1971 46 野毛平工業団地の造成が開始(昭和49年完了)
市長選挙実施、長谷川録太郎が当選
大谷津運動公園の野球場が開場
土地収用法にもとづく第二次代執行が行われ混乱する。警察官3人殉職
東関東自動車道の宮野木‐富里間が開通、翌年、成田まで開通
成田市民憲章制定。翌年、1周年記念第1回市民運動会を成田高等学校で開催
1972 47 ゴミ収集区域が市全域となり、収集の手数料が無料となる
成田ニュータウンへの入居が始まり、向台小学校開校、加良部保育所開所
成田空港の4,000メートルA滑走路完成
成田青年合議所が発足
成田用水事業が国営事業として水資源開発公団により始まる
1973 48 加良部小学校、中台中学校、成田高等学校付属小学校が開校
房総風土記の丘に移築の旧学習院初等科正堂(旧遠山中学校講堂兼体育館)、国の重要文化財に指定
大谷津運動公園市民プールがオープン
老人福祉センター、旧公津小学校跡地にオープン
中台球場が開場、大谷津球場などと若潮国体秋季大会の会場となる
赤荻、荒海、西和泉に市内初の共同利用施設が完成
1974 49 成田市公設地方卸売市場が開設
久住中学校の防音校舎が完成、市内8校の防音改築計画が終了
1975 50 県内初の農業後継者会議所が設立
成田国際文化会館が開館(市制20周年を記念し、市民歌・市民音頭を発表)
豊住工業団地の造成が完了、分譲開始
橋賀台小学絞、県立成田西(現成田国際)高等学校が開校
成田ユネスコ協会設立
1976 51 県立房総風土記の丘が開館
1977 52 新山小学校が開校
市営いずみ聖地公園の第1期工事が完成
成田警察署が花崎町から加良部に移転
1978 53 国鉄成田駅前から国道51号までの連絡道路、郷部大橋が開通
吾妻小学校、吾妻中学校が開校
いずみ清掃工場が稼動を開始、収集が週三日となる
成田空港が開港。市では航空機騒音調査を開始
成田市文化協会が成田市文化団体連絡協議会として再発足
民家全室防音工事の説明会が開始
京成成田駅前‐大室間にバスが開通
1979 54 中央公民館(赤坂)、保健センター(加良部)が開館
1980 55 県立成田北高等学校が開校
成田山新勝寺の光明堂、釈迦堂、仁王門、三重塔、額堂が重要文化財に指定
1981 56 玉造小学校が開校
成田用水土地改良区域内で本格通水開始
第1回青少年友好使節団が西独フランクフルト市を訪問
成田市三里塚御料牧場記念館が開館
中台運動公園に陸上競技場のトラックが完成
1982 57 中台小学校が開校
1983 58 成田第一土地区画整理事業(郷部・山口・土屋地先)の造成工事が開始
久住(幡谷)、橋賀台公民館が開館
1984 59 休日夜間救急病療所が開設(歯科の休日救急歯科診療は平成5年開始)
玉造、豊住公民館(北羽鳥)が開館
成田市体育館(中台)、市立図書館(赤坂)、成田公民館(田町)が開館
神宮寺小学校、玉造中学校が開校
1985 60 成田青年会議所が第1回「少年の翼」を開催(北海道)
1986 61 国鉄成田駅西口広場が完成、バスの運行を開始
成田市国際交流協会が発足
成田市商工会館が開館
1987 62 吉倉に成田浄化センターが完成(平成元年、十余三に成田クリーンパークが完成)
1988 63 八生公民館(松崎)、成田観光館(仲町)が開館
成田山開基一千五十年祭記念開帳が行われる
中国・威陽市との友好都市締結調印
市役所の新庁舎が落成
1989 平成 1 中郷公民館(赤荻)が開館
成田市シルバー人材センターが設立
1990 2 平成小学校が開校
米カリフォルニア州サンブルノ市との姉妹都市締結調印
成田空港問題話し合い解決目指し、地元第三者機関・地域振興連絡協議会発足
成田ケーブルテレビの本放送が開始
京成成田駅東口広場と51号線を結ぶ京成駅東口線が開通
1991 3 成田空港地下駅までJRと京成電鉄が開通
加良部公民館、美郷台地区会館が開館
話し合い解決に向けて、第1回成田空港問題シンポジウムが開催
1992 4 県道成田‐安食線バイパスが開通
成田市ボランティア連絡協議会が発足
市民の森が長沼と成毛にオープン
京成成田駅東口ヘ通じる地下道が開通
八富成田斎場が吉倉に開場
成田空港第二旅客ターミナルビルが開業
1993 5 市役所が土曜閉庁となる。電話による情報案内開始
本城小学校が開校
防災行政無線の供用を開始
第1回成田空港問題円卓会議が開催
成田テレビ中継局(大袋)が開局
1994 6 自然、健康、愛情を表す市のシンボルマークと市の花「あじさい」が決定
京成成田東口土地区画整理事業が完了
公津東土地区画整理事業用地内に京成公津の杜駅開業
御料牧場の面影を残す旧貴賓館(三里塚記念公園内)の改修工事が完成
成田空港問題円卓会議が終了
市制施行40周年を迎える