資料名天保7年の大袋村絵図
作成年1836(天保7)年2月

解題

村は、東が江弁須村、西が下方村。南が飯仲村、北が台方村と境を接している。この5か村は、元は一つの村で公津村と称していたが、1653(承応2)年に分村して成立した。明治維新まで佐倉藩領で、1746(延享3)年の家数は30軒・人数は133人である。中央の道を境に、東側の低地と西側の台地に分かれている。東側の低地には、北に向かって印旛沼に流れる江川の両側に水田が形成されている。東側の一部は、江弁須村との境の谷津を挟んで台地となっている。西側の台地には、朱色が鮮やかな畑、家で表現した集落、木々を描いた山林が形成されている。台地に入り込んだ谷津は下方村との入会地で、その奥には溜池が設けられている。また、北側には台方村と下方村の入会もある。このように入会が多いのは、元は一つの村であったことによる。

(鏑木行廣)

NSIN(書誌ID)DL20161000050
種別絵図
細目村絵図
ページ数1枚
大きさ(縦×横)33×48cm
資料群名村絵図
文書番号大袋区有文書 591
撮影年月日2015/10/31
掲載枚数1枚
備考
所蔵成田市立図書館
分類213.5
件名成田市-歴史
件名(成田)成田市-村絵図
キーワード(成田)
地域コードN
郷土分類208.8